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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)1829号 判決

原告 ヴェルクロ・ソシエテ・アノニム

右代表者 クラーク・ハートウェル

同 アンドレ・ルイス・ブルニエール

右訴訟代理人弁護士 久保田穣

同 柳原勝也

同 鎌田隆

同 福島栄一

被告 鐘紡株式会社

右代表者代表取締役 伊藤淳二

右訴訟代理人弁護士 内田修

同 宮下靖男

右輔佐人弁理士 松本武彦

〈ほか二名〉

主文

一  被告は、別紙物件目録記載のファスナーを生産し譲渡し又は譲渡のために展示してはならない。

二  被告は、右ファスナー及びその半製品を廃棄し、その製造設備を除却せよ。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一双方の求めた裁判

一  原告訴訟代理人は、主文同旨の判決及び仮執行の宣言を求めた。

二  被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

一  原告の特許権

原告は、名称を「分離自在のファスナー」とする発明(以下「本件特許発明」という。)につき、つぎの特許権(以下「本件特許権」という。)を有している。

特許番号 第二六二〇二三号

出願日 昭和三三年六月一六日

優先権主張 一九五七年(昭和三二年)一〇月二日スイス国出願

公告日 昭和三五年一月二八日(特公昭三五―五二二号)

登録日 昭和三五年五月三一日

特許請求の範囲の記載 「互に引懸けられる様になっている鉤止部材を備えた二個の支持体にて形成された二個の可撓性部分を連結するファスナに於いて、該支持体の一方はその表面上に多数の鉤を備え、他の支持体はその表面上に多数のループを備えた事を特徴とするファスナ。」

二  本件特許発明の要旨

本件特許発明は、つぎの構成要件からなるものである。

(1) 互に引っかけられるようになっている鉤止部材を備えた二個の支持体で形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーであること。

(2) 支持体の一方は、その表面に多数の鉤を備えること。

(3) 他方の支持体は、その表面に多数のループを備えること。

三  本件特許権の優先権主張当時の技術水準

本件特許権の優先権主張日前において、面と面とを結合するファスナーとして、例えば米国特許第二七一七四三七号、米国特許第二四九九八九八号、スイス国特許第二九五六三八号などがあったが、これらのファスナーは、いずれも理論上のものにとどまり、実用化しえなかった。

これら従来技術の面と面とを結合するファスナーは、点と点とを結合するファスナー、例えばカギホックとかスナップとかを単に平面に複数個並べたもの、すなわち基本的には点の結合の思想を一歩も出ていないものであり、そのため、面と面とを結合するファスナーのつぎに述べるような特殊性から来る要求を満しえないという欠点を有し、実用に供しえなかったのである。

面と面とを結合するファスナーは、各鉤止部材を目で見て、又は指で触って確かめながら正確に一対一の関係で係合させることができない(これを「盲係合」という。)から、どうしても重ねて軽く押圧するという簡単な操作で、できるだけ多数の鉤止点を作るものであることが、まず要求される。同時に両面は任意の位置において容易に係合し、どこでも均一な係合力が得られるものであることが要求され、多少のズレで係合力が左右されるようなものでないこと及びできるだけ可撓性を持つものであることなどが要求される。

このような技術水準のもとに本件特許発明が技術的課題としたところは、いかにして、右のような面と面とを結合するファスナーの特殊性に合致した実用性ある互に引っかけられるようになっている多数の鉤止部材を備えた二個の支持体からなるファスナーを作るかにあった。

四  本件特許発明の技術思想

本件特許発明は、互に引っかけられるようになっている多数の鉤止部材を備えた二個の支持体からなるファスナーにおいて、一方の支持体の鉤止部材として多数のループを採用した点に全く新しい画期的な思想が存在するのである。すなわち、多数のループの採用により、一方の支持体上に係合のための連続面を持つことができ、そのため、他方の支持体の鉤止部材がこれに係合する機会がきわめて多くなり、前述の面と面とを結合するファスナーの特殊性から来る要求を満し、その実用化に初めて成功したのである。

本発明の中核は右のように多数のループを採用したところにある。すなわち、一方の支持体に多数のループを、他方の支持体にこれを引っかける鉤部を備えて係合離脱を可能ならしめるという技術思想のもとに本件発明は構成されているのである。

本件特許発明の作用効果

(1) 本件特許発明においては、一方の支持体上に多数のループを密生させる結果、このような状態にあるループの中へ、他方の支持体の鉤部が入って来ると、どの任意の個所にも鉤部に対応するループが存在することになり、鉤部とループとは係合する機会が非常に多くなる。しかも、ループ自体に可撓性があるから鉤部が挿入されるときはこれに押されて、ループは容易に変形し、位置を変え、係合の可能性はなお増加する。また、ループを異る方向に配列し、その頂点の高低を異にし、また支持体に対し異る角度で傾斜させるなどして形成することによって係合の効果をさらに増大するようにすることも可能である。

その結果、これに対応する他方の鉤止部材たる鉤部は前述したような鉤止部材同志を結合させる従来技術の鉤止部材のように各々の対応部分が一つ一つかみ合うような形状・位置及び方向をとる必要は全く無くなったのである。

(2) 本件特許発明の鉤部の機能は、明細書に記載されているとおり「実際上、層の一つの各鉤部は他の層のループ内に係合し、此等の二層の分離は、鉤部がテリー又はアンカット織物の層のループから逃出し得る様に鉤部全体の一時的匡正を生ずるに充分な力が加えられた時にのみ生ずる」点に集約される。

すなわち、ファスナーの接合・分離の原理は、つぎのとおりである。

多数のループを設けた支持体と多数の鉤部を設けた支持体とを押圧して接合させると一方の支持体の鉤部は、他方の支持体のループに係合し、この両支持体を分離しようとする力に対し抵抗を示し、これを接合させる。

鉤部とループの係合は、一定の力に対して抵抗を示すが、両支持体に加えられる力がこの抵抗力に打ち勝って、鉤部全部の一時的匡正、すなわち鉤部に弾性変形を与え、その結果、鉤部がループから逃出できる状態に至ると鉤部とループとがはずれ、両支持体の分離が生ずる。

分離後の鉤部は、弾性により再び元の状態に戻り、繰り返し使用できるので、分離自在のファスナーとなりうる。

六  被告の侵害行為

被告は、業として、別紙物件目録記載のファスナー(以下「イ号」という。)を生産し譲渡し又は譲渡のために展示している。

七  イ号の構成

イ号は、つぎのような構成のものである。

(1) 互に引っかけられるようになっている鉤止部材を備えた二個の布製支持体からなるファスナーであること。

(2) 支持体の一方Aには、その表面に、合成樹脂材料のモノフィラメント(テグスのような、それ自体一本の糸から成る単繊維)をその両端が表面に突出するように織り込み、その突出部の先端にキノコの傘形の膨頭部を形成してなるキノコ型小片を多数備えていること。

(3) 他の支持体Bは、その表面に、合成樹脂材料のマルチフィラメント(多数の細い繊維を撚ってなる繊維)からなる多数のループをジグザグ状に配列して形成し、細い繊維からなるループが支持体表面に多数群生するものであること。

八  本件特許権の侵害

イ号の製造・販売等は、つぎのとおり本件特許権を侵害するものである。

イ号は、本件特許発明の構成要件をすべて備えている。

(一)  本件特許発明では、支持体の形状・材質等について何らの制限もなされていない。したがってイ号の(1)の構成は、本件特許発明の前記(1)の要件を充足する。

(二)  イ号のキノコ型小片は、他方の支持体上に備えられた鉤止部材であるループに引っかかり、両支持体を分離しようとする力が強くなると、これに負けてループ係止点(ループの引っかかっている点)から支持体上の支持点(キノコ型小片が支持体に支持されている点。基布面下であることもある。)に至る部分において弾性変形を生じ、この変形が一定限度をこえるとループはスリップしてキノコ型小片から離脱し、両支持体を分離せしめるという機能を有し、本件特許発明の鉤部にあたる。

本件特許発明においては、鉤部は、右のようにループと引っかかることによって、両支持体を結合させ、弾性変形によりループとの係合から離脱することによって両支持体を分離するという機能を有するものとされているほかは、その形状・材質・製造方法等については、何の制限もない。本件特許公報に記載された先の曲折した形状の鉤部及びその製造方法は、本件特許の一実施例として開示されたものにすぎない。したがってイ号に設けられた右キノコ型小片は、要するにキノコ型の鉤部にほかならない。

(三)  本件特許発明におけるループは、糸条が支持体の表面に対して膨らむように、その両脚部を支持体に植え込まれて形成され、全体として彎曲形状をなし、支持体をも含めて切れ目がない形状のものであれば足り、ループの形状およびその支持体に対する角度ならびに配列等について、右の限定以外の何らの制限もなされていない。したがってイ号に設けられたループは、本件特許発明の前記(3)の要件を充足する。

以上のとおり、イ号は本件特許発明の構成要件をそのまま充足するものであり、被告がイ号を業として生産し、譲渡し又は譲渡のために展示する行為は原告の本件特許権の侵害となるから、原告は、被告に対し、特許法第一〇〇条第一項に基いて右侵害行為の差止めを求め、さらに同条第二項に基き、被告の所有するイ号及びその半製品の廃棄ならびに前記侵害行為に供した製造設備の除却を求める。

第三被告らの答弁及び主張

一  原告主張の請求原因事実中、原告が本件特許権を有していること、その特許請求の範囲の記載が原告主張のとおりであること、本件特許権の優先権主張日前において原告主張の公知例が存在したこと、被告らがイ号について原告主張の行為をしていることはいずれも認めるが、本件特許の構成要件、本件特許の技術思想とくに本件特許発明が初めて面ファスナーの実用化に成功したとのこと、本件特許発明の作用効果中鉤とループが分離する際の鉤の変形、イ号の作用効果、イ号の生産・譲渡等が本件特許権の侵害となるとの各事実についての原告の主張は、いずれも争う。

二  本件特許発明の要旨は、原告主張の(2)及び(3)を要件とするものであり、(1)は、本件特許発明の属する技術の分野を示すものにすぎず、本件特許発明の構成要件をなすものではない。

三  本件特許権の優先権主張日前である昭和三二年九月一一日にわが国特許庁資料館に受け入れられ公知となっていたフランス国特許第一一三九三六八号公報は、面と面とを接合するファスナーに関するものであり、それには、「粗い毛織物の生地が問題である場合には、例えば、上に説明したような帯状の織物の一部をそこへ押し当てるだけで充分であり、この小さな鉤は表面のウールのパイルに固定する。例えばナイロンやベルロンの名で知られている熱可塑性の合成繊維によりこのような確実な方法で形成されている鉤は、大きな弾性を持ち、比較的長い使用の後も同様に上述した接着効果(ファスナー効果)の特性を有する。」(第二頁左欄一〇行目ないし二〇行目)との記載及び「一方の織物を他方のそれから引き離すときでも、この操作は接合しあった織物になんの損傷も与えることなく、鉤はその弾性のために初期の位置を変える」(第二頁左欄二六行目ないし二九行目)との記載がある。

右記載における「粗い毛織物の生地」で形成された織物は、その表面にいわゆる毛羽立を有するものであり、しかもこれは彎曲形状のもので、原告のいうループを形成しており、また、右毛織物は多数のマルチフィラメントの分繊糸を緩く撚り合わせて形成されているものであるから、鉤が容易に引っかかる性状を有するものであることは明らかである。

さらに、右公報には、合成樹脂製のモノフィラメントからなる鉤を用い、その分離は、鉤が弾性により変位(変形)し、鉤部の一時的匡正によりなされることも明示されている。

右フランス特許公報に示されたところと対比してみれば本件特許発明の技術思想として原告の主張するところは、本件特許権の優先権主張日前すべて公知であったのである。したがって、本件特許発明における鉤及びループは、厳密に、普通の概念における鉤及びループに限定されるべきものである。

四  本件特許発明は、前項の如き技術分野すなわちいわゆる面接合ファスナーにおいて、原告主張の(2)及び(3)を必須構成要件とするものである。

そして、右(2)の要件における鉤とは先端の彎曲した、物を引っかける形状のものをいい、物を引っかける作用のあるものでも、先端の彎曲形状でないものは、右の鉤ではなく、また、右(3)の要件におけるループとは環状のものをいうのであって、若し通常の形態が環状でない場合であっても環状の形態になしうる限度のものをいい、半円弧状ないし低い馬蹄形状のもの(いわゆる彎曲橋状のもの)は右のループには属さず、織物や編み物における浮き上っている糸の如きは右のループとはいわない。

本件特許発明における鉤の形状については、つぎのことからも前記のとおりのものと解すべきことが明らかである。すなわち、本件特許権の公告日より後の出願にかかり、原告の主張によれば、技術思想はもとより、その構成、作用、効果も本件特許発明と同一としなければならない面ファスナーの係止部材に関する各考案(実用新案出願公告昭四六―一一五〇号及び同昭四一―七三七九号に各記載の考案)について、実用新案設定登録がなされている。このことは、右各考案における係止部材と本件特許発明における鉤とが別異の技術であると判断されたためである。本件特許発明の構成要件を原告主張のとおりに解すれば、その構成要件と構成要件を同一にし、作用効果も全く同一であり、いわゆる選択考案ないしは利用考案でないことの明らかな右各考案につき権利を附与されるいわれはない。

五  イ号は、係合部材1と2とを互に引っかけるようにして係合するようにした二個の布製支持体からなるファスナーであるが、これを本件特許発明における前記(2)及び(3)の要件と対比して表現すれば、

(ア)  一方の布製支持体Aの表面に備えられた係合部材1は合成樹脂製のモノフィラメント(ポリプロピレン)を、その両端が支持体Aの表面に突出するように織り込み、その先端にキノコの傘型の膨頭部を形成してなるキノコ型の小片であり、

(イ)  他方の係合部材2は合成樹脂材料(ナイロン系)を竪メリヤス編の一種であるトリコット編として起毛したもので、マルチフィラメントが分離され、表面が円弧状の浮糸に形成されたものである。

右(ア)の係合部材1はキノコ型の膨頭部を有するものであり、その先端は彎曲したものでないから、本件特許発明の鉤とはいえず、(イ)の係合部材2において、トリコット編の起毛布は半円弧状の浮き糸を表面に有するとしても、この浮き糸は本件発明のループではない。したがって、イ号は、そのA・B両者を重接係合するように組み合わせたとしても、本件特許発明の前記(2)及び(3)の構成要件を何ら充足するものではなく、イ号は、その構成上、本件特許発明の技術的範囲に属するものでないことは明白である。

また、イ号のB面は、古来から周知のトリコット編(メリヤス編の一種である竪メリヤス編)の起毛布そのものであり、とくにファスナー部材として製造された特殊なもの(背高の馬蹄形状のもの)ではなく、基布以外にマルチフィラメントの打ち込みや編み込みを要するものでなく、トリコット編として一挙に編成された竪メリヤス生地を起毛したにすぎないものである。この点からみても、イ号における浮き糸をループというのはあたらない。

六  原告が本件特許発明の作用効果として主張する請求原因五の(1)については、イ号にもこれと同様の作用効果は存在するが、右(1)の作用効果は、本件特許権の優先権主張時前より公知であったから、イ号が本件特許権の侵害となるとする根拠とはなりえない。

そして、原告が本件特許発明における鉤の機能、接合・分離の原理として、請求原因五の(2)において主張するところもまた公知であるが、この点については、イ号においては、一方の部材であるキノコ型の嵌止部材は、キノコの傘型の膨頭部とその底面の直径の約一〇分の五ないし一〇分の四の直径を有し、この直径の二倍以内の比較的太く長い脚部からなるものであるから、引っかけられた浮糸との離脱に際し、キノコの膨頭部が変形しないことは勿論、脚部も基布面上の軸間において変形するものではない。キノコ型小片は、本件特許発明における鉤部全部すなわち鉤の先端の彎曲部分を含めて変形するという現象はもとより、ループ係止点から支持点に至る部分において弾性変形するという現象をも生ずるものではないから、イ号は、原告主張のような本件特許発明の離脱の原理に従うものではない。

イ号において、キノコ型小片から浮き糸が離脱するのは、キノコ型小片を上方に引き上げたとき、キノコの傘型の周縁をスリップすることによるものである。強く横に引いたときには、キノコ型小片の脚部は基布面下で変形して横倒れ状となるが、この場合でも基布面上の脚部の弾性変形はほとんど認められず、仮にきわめて僅かに彎曲するとしても、それは離脱にあずからない程度のものである。

しかも、本件特許発明においてループが鉤から離脱するのは、鉤部材の彎曲した先端に至る部分の延伸変形によって逐次ループとの係止点が移動し、ループがスリップしつつ遂に先端が伸び切った状態にまで弾性変形を来すことにより、初めて両部材が離脱するものであることは、その構成上明らかであるから、離脱についての原告の前記主張自体誤りであり、また、イ号のキノコ型小片が、離脱に際し右のような機能を営むものでないことは明らかである。

したがって、イ号における離脱の原理は、本件特許発明のそれとは全然別異のものであり、この点からみても、イ号は本件特許発明の技術的範囲に属さない。

また、右のようにキノコ型小片が分離作用にあずかるような変形を生じないものであることは、その形態的特性すなわち本件特許発明の鉤と構造上の著差があることに因るもので、鉤にあたらないことは勿論、これと均等物でもないのである。

そして、イ号は、本件特許発明の典型的な実施製品であるベルクロ・マジック・ファスナーと比較すれば、横引強度において約九倍の強度を有する。この事実によれば、イ号と本件特許技術との間には、その構成、作用、効果上格段の差異があることは明らかであり、両者の技術が全く別異のものであることを示している。

七  前記フランス特許公報に記載された技術は、わが国においては、本件特許権の優先権主張日前から何人にも実施を許されるいわゆる自由技術であり、本件特許発明の鉤と同一の鉤を有する布と彎曲形状の浮き糸を備えた公知の織物(トリコット地)を係脱させるように組み合わせた布製ファスナーを製造・販売することは、何人に対しても放任さるべきであり、いわんや右の鉤に代えてキノコ型小片を使用しているイ号は、本件特許発明とは全くかかわりのない自由かつ別異の技術である。

さらに、仮にイ号が本件特許発明の技術的範囲に属するとしても、まだ無効審決の確定をみない現時点においても、被告に対し、イ号の製造・販売等の差止を求めることは、著しく社会正義に反し、権利の濫用として許されない。

八  したがって、イ号の製造・販売等は、何ら本件特許権の侵害とならないから、原告の本訴請求は失当である。

第四被告の主張に対する反論

被告は、フランス特許第一一三九三六八号公報を引用して、本件特許発明の技術的範囲を論じ、あるいは自由技術ないしは権利濫用の主張をするが、右公報は、先端の彎曲した鉤を表面に多数有する織物の製造方法及びその装置に関するものであり、この鉤付織物は、互いに鉤が引っかかり合うように二枚の布地を重ね合わせてファスナーとすることを目的としたものである。したがって、一方の係合部材に鉤でなく多数のループを採用した本件特許発明とは基本的技術思想についても、作用効果についても全く違うものである。そして、被告の指摘する第二頁左欄一〇行目から二〇行目の記載は、その前後の記載からみて、基布に対する鉤の固着方法について述べられているとみるべきであろうが、しかし、この記載は甚だ不明確なものである。また、仮りに右部分の記載を被告主張のとおりに読んだとしても、それは、毛織物の表面の「けば」が彎曲状の鉤型係合部材に絡みつくというようなありふれた現象を意味するにとどまり、ループと鉤型係合部材とを組み合わせることによって、強固かつ反覆使用可能の実用的な面ファスナーを得るという、本件特許発明の技術思想を示すものとは到底解しえない。

第五証拠関係≪省略≫

理由

第一  原告の特許権

原告が、本件特許権を有しており、その特許請求の範囲の記載が、「互に引懸けられる様になっている鉤止部材を備えた二個の支持体にて形成された二個の可撓性部分を連結するファスナに於て、該支持体の一方はその表面上に多数の鉤を備え、他の支持体はその表面上に多数のループを備えたことを特徴とするファスナ」であること、及び被告が業としてイ号を生産し譲渡し又は譲渡のために展示していることは本件当事者間に争いがない。

第二  本件特許発明の要旨

右特許請求の範囲の記載に基づき、成立に争いのない甲第二号証(本件特許権の出願公告公報)の発明の詳細なる説明及び添付図面をしんしゃくして考えると、本件特許発明は、つぎの構成要件からなるものと認められる。

1、互に引懸けられる様になっている鉤止部材を備えた二個の支持体にて形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーに関するものであること、

2、両支持体の各表面に備える鉤止部材は、一方を多数の鉤とし、他方を多数のループとすること

被告は右1の事項は本件特許発明の構成要件ではない旨主張する。しかし、右の事項は本件特許発明における新規な特徴を示す部分ではないが、本件特許発明が属すべき公知の上位概念であるから、本件特許発明を構成する要件の一であると解するのが相当である。

第三  本件特許発明の技術思想

成立に争いのない甲第七号証(昭和二九年五月一一日特許庁資料館受入のスイス特許第二九五六三八号公報)によると、本件特許権の優先権主張日前に、面と面とを結合するファスナーとして(名称は「結合装置」となっている。)、同じ形状をした膨頭状あるいは彎曲鉤(前記甲第二号証に図示されたようなもの)等の鉤止部材を二個の支持体に対向的に多数備え、この二つの支持体を互に押しつけることによって、膨頭同志が互にはまり込んだり、右彎曲鉤同志が引っかけられて結合する技術が公知であったことが認められ、また同様の構成を有するファスナーに関するものとして米国特許第二四九九八九八号及び米国特許第二七一七四三七号などが存在したことは、当事者間に争いがない。しかしながら、これらの面ファスナーにおいては、各鉤止部材はその位置に対応する相手方とのみ係合しうるものであるから、係合しようとする方向、部位によっては係合する機会が少いため、ときにより係合力に差異が生じ、全体として係合力が小さいという難点があったことは容易に推察できる。右の事実に本件特許公報の一頁右欄四行ないし二二行の「上記の如く鉤止されたベルベット型の織物の層及び上記にテリー又はアンカットベルベットとして述べたループ型の織物の層を使用する時に、織物の二層の鉤止装置又は連結装置からの分離に対する抵抗が改良される事が分った。実際上、層の一つの各鉤部は、他の層のループ内に係合し、此等の二層の分離は、鉤部がテリー又はアンカット繊維の層のループから逃出し得る様に鉤部全部に一時的な匡正を生ずるに充分な力が加えられた時にのみ生ずる。又、実験によれば、例えば平方cm当り一二〇個の鉤を備えた鉤付層は、同じ鉤付層に対して、鉤止点のない比較的大なる表面を示すことが示された。従って鉤の約三〇%のみがこの形式の二層と係合することとなる。これに反し、同じ鉤をもつ同じ層で、前記の如く形成したループを持つ層を使用する時には平方cm当り約一〇〇〇個のループを持つ層は上記の鉤を鉤止せしめる可能性を非常に増大する。」との記載をあわせ考え、前記本件特許請求の範囲の記載に基づいて考察すると、本件特許発明は、鉤止部材を持つ二つの支持体によって形成されたファスナーにおいて、鉤止部材として、一方の支持体の表面には多数のループを備え、他方の支持体の表面には右ループを引っかける鉤状部材を多数備えるときは、二個の支持体の両対向面に同一の鉤状部材を備えたものに比し鉤止部材間の係合が著しく多くなり、しかもファスナーの分離に対する抵抗が改良されるとの着想に基くものであると推認することができる。

そして、この種のファスナーにおける一方の支持体の鉤止部材としてループを使用した先行技術については、これを認めるべき証拠は本件にない。

そうすると、本件特許発明は、互に引っかけられるようになっている鉤止部材を備えた二個の支持体にて形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーにおいて、一方の支持体の鉤止部材にループを採用したところに発明の中核が存するというべく、一方の支持体に多数のループを、他方の支持体にこれを引っかける鉤状部材を備えて係合離脱を可能ならしめるという技術思想を解決原理とし、その具体化として、特許請求の範囲の記載のとおりに構成したものと解せられるのである。

第四  フランス特許第一一三九三六八号について

被告は、本件特許の特許請求の範囲に記載の技術思想は、その優先権主張日、既にフランス特許第一一三九六八号公報の二頁左欄一〇ないし一四行に記載の、別紙第一に示す説明により公知であった、すなわち右の箇所は「若し粗い毛織物の生地が問題である場合には、例えば上に説明したような帯状の一部をそこへ押し当てるだけで充分であり、この小さな鉤は表面のウールのパイルに固定される」と教示しているのであり、これは一方の支持体の表面上に多数の鉤を具え、これを他の粗い毛織物に押し当てて引っかけるという分離自在のファスナーについての技術思想を開示しているものであると主張し、右フランス特許公報写である乙第六号証とこれに添付の訳文を援用する。

成立に争いのない乙第六号証によると、右フランス特許公報は、昭和三二年特許庁資料館受入のもので本件特許権の優先権主張日わが国において公知であったこと、右特許はフェルスター(Karl Frster)が、「小さな鉤状に屈曲した末端を持つ繊維からなるパイルを有する織物固着具(ファスナーバンド)の製造と製造装置」との名称で一九五四年一〇月二六日ドイツ国に対しなした特許出願に基づき優先権主張をなして一九五五年一〇月二六日フランス国に特許出願をなしたもので、その公報の被告引用箇所に別紙第一のとおりの記載があることは事実である。

しかし、右の記載はフランス特許第一一三九三六八号公報の全文を精読してもこれにより本件特許の技術思想が優先権主張日公知であったとは認めることができない。

すなわち、乙第六号証のフランス特許公報には添付の訳文によれば、先ず「本発明は重ねあわされる際にそれぞれの表面に付与された小さな鉤がかみあうことによって、互いに接合する特性を持った織物を製造する方法とこれの製造装置とに関する」と冒頭に記載してあり、次いで「従来このような織物に鉤を付与するための加工は次のようにして行なわれてきた。合成繊維からなるたて糸のループを細い棒で処理したのち横方向に切断すれば上記の細い棒の熱効果によってループが熱可塑性状態にまで達せられて所望の形状を付与される」(原文一頁左欄一六行ないし二二行)。「本発明によればある種の素材(切断されたパイル織物)についてそれらが製織された織機の種類には関係なくすぐれたファスナー特性を備えた小さな鉤の加工が可能である」(同一頁右欄五行ないし八行)。「本発明による方法では被処理布の鉤はループを切断してつくられたものではなく、基布のたて糸が平行に置かれた第二の基布の材料とともに製織されたのちこの二枚の基布を対称的に切断して得られたパイルに対し鉤の賦形操作をほどこす。本発明の特徴は鉤が織物面に対して垂直に起毛されている伸びた繊維の先端に賦形されていることとこれらの鉤がそれぞれ平行関係にあることである(同欄九行ないし二一行)。」「本発明によれば基布から垂直に出た繊維の先端はそれらが変形可能となる可塑化状態に到達するまで加熱され凹面切子面のごとき加圧要素によって、繊維の軸線方向に向って圧力を受け、ここでそれぞれの繊維は先端は統計的にはすべての方向に均一に小さな鉤に賦形される(同欄二五行ないし三四行)」等の説明がなされていて、被告引用文の直前の段落には、「基布から突起したパイルの鉤を構成する繊維が抜け落ちるのを防止するためには織物はできる限り緻密に織らなければならない。本発明によれば、このパイル状の繊維はその基布に対して裏面から化学処理あるいは熱処理によって糊つけ接着させることも可能である。本発明によれば、この処理は鉤が加工される前でもあとでも実施できる(同二頁左欄一行ないし九行)」と鉤の脱落防止の措置について記載されており、行を改め、引き続き被告引用の文章が記載されているのであり、これに続く文章は、「たとえば、ナイロンやベルロンの名で知られている熱可塑性の合成繊維により、このように確かな方法で形成されている鉤は、大きな弾性を持ち、比較的長い使用の後も同様に上述した接着効果(ファスナー効果)の特性を確保する」というのであって、前段の文章とは内容的な関連がなく、他に被告引用部分を詳記した記載はない。思うに、多数の鉤を具えた織物を特にループの形成加工を施していない普通の織物に押し当てるだけでは、差し当り鉤は織物の繊維に係合するとしても、これを分離のため剥ぐときは、織物の繊維は毟り取られ起毛して織物としての本来の性質を失うことは必定であるから、これをもって分離自在のファスナーとして長期の使用に堪えうる技術とは考えられないので、右フランス特許公報の被告引用箇所の記載は、要するに、本発明による鉤の附された帯状基布をきめの粗い毛織物に対して押しつけると、鉤は毛織物の繊維中にはまり込み且つ繊維に引っかかり脱落することなく固定するとの利用方法につき附言したに過ぎず、この記載だけから、ループと鉤との組合せからなる分離自在のファスナーについての技術思想が開示されたものとは認めることができない。

なお、右フランス特許公報の優先権主張の基礎となったドイツ出願の原証写であることについて争いない甲第一〇号証の一には被告引用箇所に該当する記載は別紙第二のとおりであり、添付の訳文によれば、「粗面のウール地のばあい、同様にして作った、たとえばテープ状にした織布片の押し付けで十分であり、そのときカギが表面のウール毛に固着するのである」と記載されているが、右記載も前記フランス特許第一一三九三六八号における引用箇所についてなした前記判断と同様の趣旨に解せられるのである。

第五  イ号と本件特許発明との対比

イ号は、一方の布製支持体Aに合成樹脂製のモノフィラメントをその両端が表面に突き出すように織り込み、その突出部の先端にキノコの傘型の膨頭部を形成してなるキノコ型小片の係合部材を多数備えたものであり、他方の布製支持体Bはその表面に浮くようにジグザグ状に編み込まれた合成樹脂材料のマルチフィラメントが個々の繊維に分離して形成された多数の浮き上った円弧状の係合部材を備えたものである。

一  ≪証拠省略≫を総合して考察すると、つぎの事実が認められる。

本件特許発明のファスナーにおいて、両支持体を重ねあわせて押圧すると、鉤はループの中に没入し、両支持体を分離しようとする力が働くと、鉤とループが鉤の曲折部又は鉤の形状によっては鉤の曲折部と軸との接点等において引っかかりあい、分離に対する抵抗を示す。右分離力がさらに強くなると、鉤は、ループとの係止点(鉤とループとが引っかかりあっている点)と支持点(鉤が支持体に支持されている点)との間の部分において弾性変形させられ、右変形によって、ループの鉤に対してなす角が係脱限界に達すると、ループは鉤の曲折部をスリップして(本件特許公報の図面に示されたような形状の鉤においては、スリップにより係止点が移動し前記の角が係脱限界に達しなくなるから、さらに分離力が強くなって右の角が係脱限界に達することによって再びスリップすることを繰り返すことになる。)、鉤との引っかかり合いを解き、両支持体は分離される。鉤とループとの係合が解かれると、変形していた鉤は、その弾性により原形状に復する。

イ号において、A・B両支持体を重ねあわせて押圧すると、キノコ型小片は、合成樹脂材料のマルチフィラメント糸が個々のフィラメントに分離されて形成された多数の円弧状に浮き上った繊維の中に没入する。A・B両面を分離しようとする力が働くと、キノコ型小片とそれが没入したところにある円弧状の繊維とは、キノコ型小片の膨頭部の下部面と右繊維とのなす角度が、係脱限界をこえ、若しくはこえない状態で相互に接触する。そして、係脱限界をこえたループは、キノコ型小片の膨頭部をスリップしてキノコ型小片からはずれ、分離に対する抵抗を示さない。係脱限界に達していないループは、キノコ型小片に引っかかり、分離に対する抵抗を示すが、分離力がさらに強くなりキノコ型小片が変形されて、ループとの角度が係脱限界に達すると、ループはキノコ型小片の膨頭部をスリップして、これとの引っかかり合いを解き、A・B両面は分離される。キノコ型小片とループとの係合が解かれると、変形していたキノコ型小片はその弾性により、原形状に復する。右キノコ型小片の変形は、ループとの係止点とキノコ型小片の支持体によって支持されている点との間で行われる。そして、右キノコ型小片は、合成樹脂製のモノフィラメントを両端が表面に突き出すように織物に織り込んだものに加工したものであるが、その織物には前記検甲第一号証(イ号)により、また前記乙第六号証(フランス特許公報)の記載に照して、裏面からの加熱加工又は糊付けなどの固定手段が施されていることが容易に推認され、これによってモノフィラメントが織物に固着しているものとみられるから、キノコ型小片としては、織物の表面のみによって支持されているのではなく、主として織物の内部のむしろ裏面に近い部分によって支持されているのである。そして、キノコ型小片にループによる力が加えられたときには、片持梁の原理により右の支持点に近い軸の部分に最大の弾性変形が起るが、ときによってはこれが織物の内部にあるため表面にあらわれたところだけ見ると、一見キノコ型小片の軸部が変形することなく根元から傾斜したように感ぜられることがありうるが、そうだとしても、キノコ型小片がループとの係止点と織物との支持点との間で変形していることには間違いなく、また前掲各証拠を詳細にみれば、織物の表面に出ている軸の部分及び軸と膨頭部底面のなす角においても多少の変形がみられるのである。

右認定事実によると、本件特許発明の鉤も、イ号及びロ号におけるキノコ型小片も、ループないし浮き上り繊維に引っかかることによって両支持体を結合させ、ループ係止点と支持点との間の部分の弾性変形によりループとの引っかかりを解くことによって両支持体を分離させるという機能の点において同一のものといわなければならない。

被告は、イ号においてキノコ型小片から浮き糸が離脱するのは、キノコの傘型の周縁をスリップするためであるなど、キノコ型の膨頭部と脚部の比、脚部の太さと長さの比などをあげて種々主張するが、イ号においても一たん係合した浮き糸とキノコ型小片とは、キノコ型小片における前記のような弾性変形なしに離脱しえないことは前認定のところから明らかであり、被告の右主張は、いずれも本件特許発明における鉤とイ号のキノコ型小片の機能に関し前記認定を覆すべき本質的な差異と認めることはできないから、これらの主張は採用できない。

以上の認定を左右するに足る証拠は本件にはない。

そうするとイ号は、互に引っかけられるようになっている鉤止部材を備えた二個の支持体で形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーであるというべきである。

二  被告は、本件特許発明におけるループは環状のものをいうのであって、若し通常の形態が環状でなくても環状になしうる限度のものをいい、半円弧状ないし低い馬蹄型などは右のループに属しないとして、イ号における被告のいわゆる浮き糸が右ループにあたらない旨主張する。

なるほど、本件特許公報に図示されているループは、被告主張のような形状といいうるものであるけれども、右は実施例として示されているにすぎず、本件特許発明の明細書にループの高さ・形状・配列・角度等についてなんら特定した記載はない。したがって、本件特許発明にいう「ループ」とは、その語の通常意味するところを本件特許発明における機能等に照して判断するほかはない。

ところで、通常ループとは、わなともいいひもなどが輪状になっている状態をいうが、必ずしも半円形や彎曲橋状などの状態のものを含まないものではないと解せられるところ、これに前示のとおり本件特許発明においては、面ファスナーの一方支持体の鉤止部材として多数のループを採用したところに発明の中核が存するとみられること、並びに前認定のとおり本件特許発明における鉤がループを引っかける等前記の機能を有するものであることをあわせ考えれば、ループとしては、右の鉤に対応してこれを引っかけられる機能を有し、繊維等のループを形成する材料が支持体の表面に対して膨らむようにその両脚部を支持体に植え込まれた状態に形成され、全体として彎曲形状をなし、支持体を含めて切れ目のない形状のものであれば足り、ループの形状及び支持体に対する角度並びに配列等について、右以外に何の制限もないものであり、被告ら主張のようなものに限られるものではないと解すべきである。

被告は、イ号におけるB面が特殊なものでなく、古来から周知のトリコット編の起毛布そのものである点からもループといえないと主張するが、かりに古来周知のものであったとしても、これが本件特許発明におけるループにあたること前示のとおりであるから、右主張は採用できない。

そうすると、イ号の布製支持体Bの表面に浮くようにジグザグ状に編み込まれ合成樹脂材料のマルチフィラメント糸が個々のフィラメントに分離して形成された多数の円弧状の係合部材2は、本件特許発明のループにあたるものであり、イ号は、本件特許発明の一方支持体におけるループを備えているというべきである。

三  原告は、本件特許発明における「鉤」は、ループと引っかかりあうことによって二個の支持体を結合し、弾性変形によりループから離脱することによって両支持体を分離するという機能を有するものであれば足り、形状・材質・製造方法について何らの制限もないから、イ号のキノコ型小片は本件特許発明の鉤に含まれると主張し、被告は、鉤は本件特許公報に図示されたとおりの先端部が彎曲した形状のものに限定されると抗争するので、この点について判断する。

前認定の本件特許発明の技術思想及び前記特許請求の範囲の記載によれば、本件特許発明における「鉤」がループを引っかける機能を有するものとして鉤止部材に採用されたものであることは明らかである。

一般に「鉤」という文字の典型的な意味としては、棒状のものの先を屈折ないし彎曲したような形状のものと理解されるのが通常であろうが、広義においては、右のような形状のものでなくても、物を引っかける部分を備えたもので、これと似た形のものも意味するとみることができよう。

ところで、本件特許公報には、発明の詳細なる説明の項に、ループ状に形成した繊維の一方の脚部を切断することによっていわば釣針状の鉤(多少の変形を含む。)を製造する方法及びその装置が実施例としてではあるが詳細に述べられており、図面にも右形状以外の鉤は示されていない。

そうすると、本件特許発明にいう鉤とは、その公報図面に示すような釣針状並びに少くともこれに類似した形状の鉤止部材を意味すると解すべきである。

イ号におけるキノコ型小片は、別図面第2図および第3図に示されているとおり、底面を平面にしたほぼ半球状の膨頭部を有し、右底面の中央に垂直に軸が出ているという形状であり、本件特許公報図面に示された釣針状のものとは形状において同一でないのは勿論類似のものともいい難い、いわば特に案出した形状というべく、「鉤」の語だけ読み、あるいは聞いて通常直ちに思い浮べる形状といえるものではない。しかも、≪証拠省略≫によると、本件特許発明の一実施品と認められる釣針状の彎曲部分を有する鉤を備えたファスナーに比し、キノコ型小片を備えたファスナーは、横引牽引力に対して約九倍強の抵抗を示すことが認められるのであり、ファスナーの使用の態様において、横引きの力に対する抵抗力が要求されることは容易に推認されるところである。ところが、本件特許明細書には鉤止部材としてキノコ型小片を用いることについてなんら触れるところがない事実に徴すると、本件特許発明者が鉤止部材としてキノコ型小片を用いることによる前記優秀さについて気がついていたとは認められないし、本件特許出願人が鉤の例示として最も一般的な釣針状の鉤の形状を示しただけで、当業者においてこれから直ちにキノコ型小片を用いた方が係合離脱の際の機能がはるかに大きく発揮されることに気づくことは必ずしも容易であるとは言えないかもしれない。そうだとすれば、本件特許が賦与された後においても、ループとキノコ型小片との組合せからなる面と面を係合離脱せしめるファスナーの技術について出願があれば新たに権利が賦与される可能性なしとはしないであろう。

しかしながら、イ号におけるキノコ型小片も本件特許公報図面に示す釣針状の鉤が有する機能、すなわち鉤がループと引っかかりあうことにより二個の面を結合し、鉤の弾性変形によりループから離脱することによって、二つの面を分離するという機能のすべてをそのまま有するのみならず、その形状は、その膨頭部の底面が垂直に出ている軸に支えられた曲折部を有し、その曲折部は軸を中心とし、その全周方向に向って存するような形状であるが、これは、本件特許公報図面に示す釣針状の鉤をその形状ならびに機能を失うことなく多数の曲折部が軸を中心として一回転した軌跡に余すところなく存するように軸を集束した形状であるとみることができる。

四  以上によれば、本件特許公報においては、鉤止部材として釣針状の鉤の形状を示したにとどまり、キノコ型小片についてはなんらの開示がしてないとしても、キノコ型小片は本件特許発明と係合離脱についての解決原理を同じくし、しかも本件特許発明にいう鉤の形状、ならびにこれが有する機能をそのまま保有しているから、イ号の製造販売等の行為は本件特許発明の実施を伴うもの、すなわち本件特許発明を利用するものと認めるべきである。

五  なお、被告は、前記フランス特許に被告主張のような技術思想が開示されていることを前提として権利濫用等の主張をしているが、その前提を欠くことは前示のとおりであるから、右主張は採用できない。

第六  そうすると、イ号の生産、譲渡または譲渡のための展示をする行為は、本件特許権の侵害を免れないものというべく、その差止を求め、被告が所有していると推認されるイ号及びその半製品の廃棄並びにイ号製造のための設備の除却を求める原告の本訴請求は理由がある。

よって、原告の請求を認容し、訴訟費用は民事訴訟法第八九条により被告の負担とし、仮執行の宣言は相当でないと認めるのでこれを附さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大江健次郎 裁判官 楠賢二 庵前重和)

〈以下省略〉

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